慈善事業の継続性とファッションの一過性の融合はかなえられるのか?
2005-09-28


これまであえて当ブログでは知らん振りをしていたホワイトバンドについて、お友達の日影なすが今ごろになって取り上げてくれちゃったので、おいらも遅ればせながら便乗させていただこうかと思いまする。

とりあえず、いわゆるホワイトバンド問題として騒がれている事柄については、世界の中心で左右をヲチするノケモノ (plummet さま) が非常によくまとめておられると思われるので、そちらの記事を参照されることをお勧めします (この記事が最初で、そこの「追記」にあるリンクから関連する全ての記事を参照できます)。

しかし ZAKZAK もネタにしてたんですねぇ。流石は保守の産経、フェアトレードと聞くと黙っていませんなw。


んで、おいらから見たホワイトバンド、なのですが、G のブログで紹介されたのを見て知ったときから (7/31 となっていますが、ブログのトップに表示されるようにする為に日付を変えており、実際に掲載されたのは確か 7 月の上旬だったかと)、なんだかあんまりお係わり合いになりたくない、気持ちの悪い事業だななどと思っておりました。。。plummet 氏がネタとして取り上げたあたりから本来の (国際的な) 趣旨を知った今の方が、むしろ好感度は上なのではないかと思います。

「ほっとけない 世界の貧しさ」キャンペーンによって繰り広げられていたものは、貧困国救済の為の政治活動キャンペーンという、長く継続を必要とする慈善事業と、オサレなゴム製の白いわっかをスタイリッシュに身につけてもらおうという、一過性の強そうなファッション的なものでした。

ファッションと慈善事業の融合、というだけでもキモチワルイのに、さらにはこのアイテムには意思表示という意味合いまで込められていました。このアイテムを持ち、常に身に付けていることによって、貧困国を憂いている人間であるということが示される、という訳です。

そんなもん持っていなくたって十分憂いているよ、という人もいるでしょう。あるいは、そもそも貧困国の問題なんぞいちいち憂いていられるほどの余裕のない人、それよりよっぽど重要だと思っている問題に憂いていたり、まさに取り組んでいる人というのもいらっさることでしょう。

もしも、このホワイトバンドが本当に日本中を席巻するほど流行ってしまった場合、周囲の人間がみんなホワイトバンドをつけている中で、あなた一人だけが明確な意思を持ってホワイトバンドを着けずにいられると思いますか?

おいらは多分そうすると思います。でも、重圧に押しつぶされて外を出歩くのが格段に嫌になるでしょうね。人付き合いにも今以上に慎重になるかもしれません。

慈善事業が倫理観を伴う以上、そうした重圧は必ず伴うものです。おいらがホワイトバンドをキモチワルイと思った一番の理由は、そこにあります。

もっとも、ホワイトバンドが必ずしも買わなければならないものではないことを知った今では、むしろ随分と気軽に生暖かいまなざしで、こいつを身につけている人間を見つめることができるようになりました (それまでは、時々街でこいつを身につけている人間を見かけるたびに、なんだかすごく嫌な気分に苛まれていました)。

ちなみに、おいら自身は日本でのホワイトバンド活動の趣旨に対して賛成も反対もしない立場なので、当面はどのような形であれ、白い巻くものを (この活動を意識して) 身に付けることは無いと思います。かしこ。

[社会問題、政治等]
[商売]

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