リスクと見つめあうこと。
2005-09-29


あざけり先生、台風きどりより、禁煙ファシズム発動(大事な人に押し付ける) を読んで。

まぁ、喫煙や副流煙と肺がんとの関係が云々とかは別として。おいらが一番「どきり」としたのはやっぱりこの部分かな (強調はおいらが付けたものです)。

こんな感じでした。実際に、思ったとおりに生活していたのですが、ふとした時に考え始めました。「なんで煙草なんか吸ってたんやろ…」と。それまでに「煙草はやめときな」などと言われ、うんうん、分かってる分かってる。でも、自分で自分のリスク分かっているからほっといてくれよ、うっとおしいなと考えていました。でも、リスクをほんとうは分かっていませんでした。毎日毎日「死ぬかも死ぬかも」と考える日々は、本当に「お先真っ暗」です。昔の自分に、「煙草をやめられないなのに、自分と周りに言い訳ばっかりするなよ」と怒りたいです。でも、過去を消せる消しゴムはないからなぁ…

こういう事って、喫煙に限ったことではないと思う。後々どうなってしまうかということを、なんとなく知識として知っていながら、でもまぁすぐにそうなるわけでもないだろうという甘い認識にくるまれながら、気持ちよくて楽な方へと流されていってしまう人って多いと思う。お酒好きがエスカレートして常飲状態になってしまう人、精神疾患に苛まれながら、病気と向き合えずに会社に通いつづけてしまう人、返すあても無いのに、生活を賭けたギャンブルに興じて借金を膨らませてしまう人、そして、太っていると分かっていながら、具体的なダイエットを始めようとしないおいら。。。

いつだって、取り返しのつかない状態になって、具体的な痛みや絶望感をしっかり味わってから、やっと物事の重大さに気付かされる。そこに至るまでに、周囲にいるたくさんの人たちに、著しい心労や迷惑をかけてきてしまったことさえ、気付かずに。

ちなみにおいらは煙草は吸いませんが、嗜好品やその利用者を迫害するような社会というのは、いい世の中とは言えないと思います。だからこそ、身内に対しては徹底的に禁煙を勧めよう、というあざけり先生のお考えには、痛く共感できるところがあります。

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