後者の記事から引用。
一方、松本さんはこの日夜、サンケイスポーツに「進展? 私には何も言ってきていない」と説明。「発売直後に(槇原本人が)『もしかしたら刷り込みがあったかもしれない。すいません』と認めているんですが、騒動になると黙っている。(公の場で)1回謝ってくれれば、まだ若いんだから頑張れよと言えるんですけどね」と話していた。
「刷り込み」は「盗作」ではない、という認識なのでしょう。そしてその認識は、盗作であるという勝手な「決め付け」で相手を糾弾する松本零士より圧倒的に正しい。
仮に槇原氏が本当に「銀河鉄道999」を知らず、アイデアだけが偶然に松本氏と同じだった場合には、槇原氏は侵害にはあたりません。ここが、アイデアが同じだけでも侵害としてしまう特許法と違って、著作権法の場合は似た作品が成立してしまう難しい点です。
「銀河鉄道999」を知っていたとして、そのすべてのセリフを必ずしも完全に覚えているものでしょうか? そして、追及されて「刷り込みがあったかもしれない」となんとなく思ってしまって口にした時点で盗作は確定してしまうものなのでしょうか?
それにしても、この記事の以下の段落、
似た作品が成立しやすい著作権の世界では、偶然似た作品になってしまった場合に、マナーとして後の人が先の人に対してどこかで(別の作品中やテレビ出演の場などで)先行作品をリスペクトすることが大事だと思います。芸術の世界では悪意なく似てしまった場合に、もめごとになる前に後の人が先の人を尊敬する業界の慣習ができれば、一般人の芸術に対するイメージが保たれると思います。
芸術世界に社会のしがらみ、上下関係の風習を持ち込むという考え方には正直同意できません。生きている (あるいはつい最近まで生きていた) 先人にはヘコヘコしなきゃいけなくて、昔死んだ偉人の作品は蹂躙してもよい、そんな常識が確立するから、ディズニーみたいな強大な既得権益が蔓延る歪んだ世界が出来上がって、不健全な芸術市場 (芸術への投機) が成り立ってしまうことになるんでは?
一方、劇場版「銀河鉄道999」の主題歌を担当した5人組ユニット「ゴダイゴ」の全国ツアーが品川のステラボールで開幕。この日も同曲を熱唱したタケカワユキヒデ(54)は「作者同士で話をして、印税を払うなり作者の名前をクレジットするなど、共作とすればよかったのでは」と語った。
これ、本当にタケカワ氏の発言なのかね? がっかり。
まぁ、あんまりいくつも参考記事上げても仕方ないので、所感を軽く列挙してみる。
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