それなりにまともなマスメディアもあるようで少しだけ安心。
2006-12-17


その懸念は、今回の判決で現実味を帯びる。合法か違法かの基準は必ずしも明確ではなく「プログラムを一般公開した多くの技術者に、いつか自分も同じ目に遭うかも、と不安を抱かせる。自由な公開を妨げないためには今回、いつ、どんな行動をしていれば罪に問われなかったのか、明確な線引きが必要」と話す。

ソフト開発でベンチャー企業を設立した筑波大4年の登大遊さん(22)は「ソフトの内容よりソフトについての言動などが重要視される現実がある。開発者は違法行為のほう助の意図があったと誤解されないように注意しないといけない時代になった」と指摘した。

強調は T.MURACHI による。とてもよくまとめられた記事だと思う。同じ内容でいいから他社メディアにも配信して欲しい記事だ。

ソフトイーサの登氏は物事の本質をしっかり理解している模様。そりゃそうだ、当初の Soft Eather だって捉えようによっては、企業の社内 LAN を内側から無理やりこじ開けるツールとも捉えられかねなかったわけで、彼自身、その辺の法的感覚 (責任感覚、と言った方が適切かな?) に敏感なのだろうから。そういう人に発言を求めたという点においても絶妙。


Sun Dec 17 11:59:44 JST 2006 - 追記

以前、おいらが思いっきり否定してしまった @IT での記事を書いていた佐々木氏による別稿。判決の論旨と、その判決が捻り出されるに至る経緯のようなものが詳細に記述されており、なるほど裁判を傍聴し続けてきたジャーナリストの視点で言えば、そのような感覚を抱くのは自然ではあるかな、という意味では納得した。もちろん、それを以って判決が妥当であるとは思わない。もっとも、おいらが「妥当だと思わない」のは判決の要旨についてであって、量刑についてはもとよりあまり興味はないです。

法学博士白田秀彰氏による寄稿。待ってました。素晴らしい内容です。みんな読めっ。

参考までに一部引用。。。でも出来れば是非、リンク先へ行って、全文読んで頂きたく。

そこで、まとめれば、本件において裁判所は、(1)世上極めてよく知られたモノについては、その製造者がそのモノの社会的影響について責任を負うべきであること、(2)あるモノを用いた犯罪行為が蔓延していることを前提とするなら、そのモノの配布に「概括的な幇助の故意」が認めうること、(3)利用者が実行するソフトウェアがもたらす結果には、ソフトウェア開発者の意思や行為の要素も関与しうること――を認めているのではないか。これらがこれまでの理論を変更している部分で、問題点となる。だから、この点をとくに問題にするなら「不当判決」と言いたくなる気持ちもわからなくはない。でも、無理で不当な解釈かといえば、「うーむ……」と考え込んでしまうわけで、それゆえ私の見解は「しょうがないねぇ……判決」ということになる。

さらにいえば、何を理由に罰金150万円が妥当なのか、根拠がサッパリわからない。これでは、金子氏有罪を前提としてあまり厳罰にならないように配慮した人情判決が出されたのではないか、と邪推されても仕方がないだろう。

。。。ていうか、金子被告は白田氏を弁護士に迎えたほうがよくね?


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