おべんきょおべんきょうれしーなー
2007-01-23


やっぱりちゃんと書こうw

さっき書いたはてブのしっぽのサンプルの中で雑感の要約を書いてみたら、なんだか dankogai 氏がおんなじようなことを書いてた。まいったなぁ。。。真似じゃないっすよ? (^_^;

いや、別に「勉強」って言葉には今やそれほどの執着というか拒絶感というか嫌悪みたいなのはもはやないんだけど (かつてはあった時期もあったけど、考えてみれば語彙力からっきしのおいらが言葉選びで云々かんぬん言えるほどヱラくもないなーという…まぁそれなりに一般的に使われちゃってるし、「勉めて強いる」なんて思い入れ込めて「勉強」って言葉使ってる人も稀だろうしみたいな)、そもそも「勉強しなくちゃいけない」が前提事項であること自体、考え方としてはあまりにも狭いし、そういう固定観念が強いられちゃっているのはかわいそうだよなぁという思いはやっぱりあるのですよ。だから何かの間違いで自分に子どもが出来るようなことにでもなったなら、「別にしたくない勉強ならしなくてもいいのよ」と教えてあげたいっておいらは思う。

ただ、そのおかげでまったくの怠け者になってしまうんだとしたらそれはそれでマズイし、なにより (4)騙されてひどい目に合いにくくなる ってのは結構大事なんじゃないかという気もするわけだ。だから、サンプルの方で書いたコメントには以下の一文も加えているわけで。

でも、大抵の人は、自分が「何を」知りたいのかすら、分からないんだ。 学校って場所では、「一般的」だとか「基礎」だとかいわれているようなことの何種類かを、とりあえず教えてくれる。 そういうものの中から、君が「知りたい」と思えるようなことのヒントを拾い上げることができれば、それはそれで幸せかもしれない。

「騙されないように」とかは、別に敢えて言う必要はないと思う。とりあえず、いろいろと吸収してみよう、という気にさせられれば、それで十分なんじゃないかなと。


大人問題
(禺画像])
(五味 太郎 / 講談社文庫)

ちなみに教師については、というか、教える立場の人、についての考察としては、「大人問題」で五味氏が結構いいこと言ってると思うので、引用してみます (強調は T.MURACHI による)。ちなみにこの人は今の「何でも教える教育」を真っ向否定していたりするわけですが (^_^; 、おいらはさすがにそこまでは思い切れませんです (^_^;; 。

そもそも「わかった」人間が「わからない」人間に教えていくという今の教育の構造が、全部まちがってるんだと思います。たとえば、文学をやってきた人間が「わたしはもう文学のことがわかった」、絵を描いてきた人間が「絵がわかった」っていうなら、その人、もうおしまいです。

唯一あるのは、「わかりたい」子が「わかっていそうな」大人に聞くという構造です。それならまあ、性教育もなんとか成り立つのではないかと思います。


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