おいらはこの問題にはあまり関心を寄せていなかったのだけれども、リンク先記事での id:teraccao さめの発言 (個人的にはそれほど人目を引くような、例えば個人攻撃や反社会的行動の予告などに相当するような酷さや、新たな議論を呼び起こす視点などといったような興味深さがあるような記事には見えなかったのだけれども) に対して、コメント欄やはてブで決して少なくない反応が巻き起こっているという事実に、その、もはや潜在的ですらないかも知れない社会感情のナーバスさに、不安というか不気味さを覚えた。態度として無関心こそ正常、などと言うつもりはないのだけれども、それにしたってこのバックラッシュっぷりは、あまりにもナーバスに過ぎるんじゃないかな。
で、個人的には「問題発言」として報じられた発言主の知事も、教育現場で行われる式典において国歌斉唱時に起立をしない、歌わないなどの行動を起こしているレジスタンス的な教職の方々にも、特別な感情は持ち合わせてはいないのだけれども、国旗、国歌に対する国としてのスタンス、特に国歌に対するそれに対して、一部の教職の方々が反感を覚え、あまつさえこれほどの積極的な行動にまで掻き立ててしまう状況に陥ることに、一定の理解は覚えるところではある。
まぁ、結論は表題に書いちゃった通りなんだけれども、実際のところ、学校の音楽の授業で君が代について触れる機会というのは、あるにはあるのだけれども、礫が岩になってコケが茂るほどの永きにわたってこの世があり続けることを願った歌、という風に解説はされるものの、肝心の「君」が何なのかについては特に触れないし、君が代がいつ、誰によって詠まれ、それが歴史的にどのように解釈され、扱われてきたのかといった経緯についても習う機会はなかった。
おいらとしては、今すぐにでも国旗や国歌を新しいものに変えるべきだとはこれっぽっちも思っていなくて、って言うのは何でかというと、それらが象徴するものが天皇であり、あるいは天皇制であるとして、それらに対して反発的な感情を持ち合わせる理由がないからだ。それだけおいらは、平和な時代を謳歌してきたと言うことでもある。
そういう風に考える人、あるいはなあんにも考えていない人というのは、この国では多数派なのだと思うのだけれども、でも実際のところ、そのことこそが最も懸念されるべき事態なのではないかとも思う。天皇制であったこと、もっと言えば、十分に民主的ではなかったことが、かつての戦争に突き進むまでの経緯としてどのように影響してきたのかって言うことが、戦争を知らない子どもたちに、これっぽっちも実感として伝わっていない、伝えることができていないというのは、型どおりに見れば義務教育における社会科教育、歴史教育の欠陥なんだけれども、でもそれは実際のところ、確かに難しいことではあるよな、とも思う。それは仕方がないのだけれども、それにしたって、最低限知識として流布していても良さそうなことが、歴史の教科書に書かれていない、それを語れる教師も少ない、というのでは、そう言うことについて考える機会を得られないという意味において、子どもたちは不幸だと言わざるを得ないのではないか。
セコメントをする