おべんきょ論蒸し返し
2007-03-14


上記過去記事についてふと思い出したこと。一度は納得した気になってしまったことなのだけど、やっぱりこのシチュエーションについていまいち納得できないことがあるので、今更だけど書くだけ書いておくことにしようかと思う。

当初の人力検索はてなでのお題に記されていた限りにおいて読み取れる状況は、以下の通り。

これらのことから、どのような状況が想定されるのか?

「小学校一年生」ぐらいの子どもに対して、「勉強しなくてもいい」などというのは、想定される常識的な履修範囲からしてみれば、むしろ犯罪的なほど無責任なのではないか? という意見があった。しかし、この想定は、今回のケースにおいて、必ずしも真実ではないのではないか、と思えてきた。もちろん、杞憂であれば良いのだが、以下のような状況であることは、考えられないだろうか?

  1. 小学校一年生から既に学習塾に通わせている。→両親は学歴社会的圧力思考に敏感な可能性が高い。子どもの学習に対して強硬的な態度をとっていた可能性はないか?
  2. 地域的に、教育に対して関心の高い風潮があった可能性、あるいはそのことが地域の家庭に与える圧力を高めていた可能性 (いわゆる「偏差値の高い地域」)。
  3. 地域の親達が学習塾に、戦略的な知育指導を求めていた可能性、または、その潜在的要求を答える形での、学習塾間での競争があった可能性。指導範囲を先取りして予習させる形の「先取り指導」による無理な負担はなかったのか?

はっきり言って、おいらの感覚からすれば、小学校一年生からいきなり学習塾に通わせるなんてのは異常なのですよ。公文式とか子ども英会話とかその他の習い事系、スポーツクラブ系とかなら話は別ですが、よっぽどの強い意思が働いているわけでも無い限り、幼稚園出たばかりの右も左もわからん子どもを学習塾に通わせるという感覚はどうしても理解できない。本来この手の学習塾ってのは、当人にせよ親にせよ、学校での指導だけでは不十分だと判断したから通う/通わせるのであって、これが受験期などであればそういう実感が伴っていても仕方が無いかなとは思うものの、小学校への入学とセットで (あるいはその前からか?) じゃあ塾にも通わせよう、っていうのはあまりにも短絡的に過ぎるというか、学校信じなさ杉というか、思考停止にも程があるだろうとか思ってしまうわけですよ。

つまり、そういう状況があるという時点で、既にその子の親は子供とのまともな対話を図っていない可能性が高いと見ていいのではないかと、おいらなら疑ってしまうわけです。違いますか?

確かに小学校一年生ぐらいの子供というのは、好奇心旺盛で、何に対しても「なんで? どうして?」といろいろと聞いてくるものです。ですから、そうした何気ない質問の一つに、そういう内容のものが出てきてもおかしく無い、と考える人は多いかもしれません。

しかし、それに通じる文脈がなければ、その質問が出てくることは無い


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